皆さんこんにちは。カナダで保育の勉強をしているmayです。今日本に帰国中の私は、オンラインで授業を受けながら、日本にいる友人と会う日々を過ごしています。そんな中、先日友人の男性元保育士とお話する機会があったんですが、色々と深い話ができたので、今日はそのことをご紹介できたらと思います!
まずはなぜ保育士になりたかったかをヒアリングすることから始めました。
「親は大学に行って欲しかったみたいで、高校の時は進路のことで喧嘩した。だから高校卒業して1年フリーターをして、お金を貯めてから保育を勉強できる専門学校に行ったんだよね。」
そう話してくれた友達。大学でなくて専門学校に行くといったことに加え、保育士という職業が軽んじられている社会で、しかも男性が保育士を目指すということに親御さんは抵抗があったのでしょうか。
「卒業してすぐ保育士として働き始めて。3年働いて、辞めた。」
高校の時から保育士になりたくて親の反対を押し切ってまで学校に行ったのに、3年で辞めてしまったそう。
「保育士の仕事は、僕には合わないな、と感じたんだよね。」
どんな職業についたとしても、合う合わないというのは確かに働いてみないとわかりません。どう合わなかったのでしょうか。
「まず、書類とか日報とか、事務仕事が多すぎて。子どもが好きで、子どもと関わりたくて保育士の仕事を選んだのに、子どもたちが遊んでいるのをちゃんと目を配りながら自分は事務仕事をして、というのが大変だった。一人ひとりに”今日はこんなことをした”という親への報告書を書かないといけないから、1人5分で書いたとしても20人分で100分。結構な時間を割かれるし、もちろんその間に子どもたちが喧嘩をしたら声をかけにいったりしないといけないしで‥」
日本の保育士さんは確かに書きものが多いと聞きます。カナダの保育園では、そのような親への報告書を書くところもありはしますが、先生一人に対して見る子どもが4人から8人なので(年齢による)、20人分書くということはありません。もちろん報告書はなく、お迎えにきた保護者と先生が直接会話をしてその日の様子を伝えるという保育園も多くあります。
「しかも、何かあったらいけないから、守りに入る。本当は教育のためにちょっと冒険したほうがいいようなことも、守りに入って無難になってしまう。」
なるほど、これは先生一人に対して見る子どもの比率にもよるかもしれません。カナダでは先ほど述べたように、先生と子どもの数が1:4〜8なので、例えばですが、子どもたちが喧嘩をしている時も、すぐには制裁に入らず、遠くで少し見守っていて本当に必要になった時に入ったりなどということもします。また、例えば木登りなど少し危ない行為に関しては、先生が見ている時はいいよ、と条件つきで許可する場合も。
「子どもたちと遊ぶとかというよりも、常に全体に目を配ってなきゃいけないので、一人ひとりの子どもと深く関われないのも、当初思ってた保育士の仕事イメージとは違ってた。」
保育園にもよりますが、カナダの保育園では先生が複数いる場合が多いので、子どもたちと”遊ぶ”ことも多いです。もちろん、全体に目を配りながら、他の先生たちが何をしているかなどにもよりますが、鬼ごっこを一緒にしたり、砂遊びを一緒にしたりということも。ある先生が1グループの子どもたちと何かに集中しているような場面があった場合は、それ以外の先生がそのグループ以外の子たちに目を配ったりと、スポーツのフォーメーションのように気を配りながら子どもたちを見ます。だからその分子どもたち一人ひとりと深く関わる時間が多く持てるのは、カナダの保育ならではなのかもしれません。
また、友達は、こんな驚く発言もしていました。
「他の保育士のレベルが低い、っていうのも、正直保育士を辞めたくなった理由の一つかな。」
えっ、どういうこと?と思わず聞き返しました。
「僕のように、保育士になりたくてなった人ももちろんたくさんいるだろうけど、残念ながら他に選択肢がなく保育士になった人や、簡単だから保育士になった人もいる。僕の働いてたところは、かもしれないけど、”プロ意識”がある人が少なかった。」
確かに、高校を卒業して大学に入る時、将来何がしたいなんて明確なビジョンはなく、その時の学力で行けそうな学校を選ぶのが割りと普通だったな、ということを思い出しました。ちなみに今、私の通っているカナダの大学では、みんな志が高く、保育を勉強したくてしている人が大半。もちろん日本でも志が高い人はたくさんいると思いますが、志が高ければ高いほど、周りとのギャップに悩むこともあるかもしれません。
「でもそれも、しょうがないことではあると思うんだけど。だって、保育園は子どものためじゃない、親のためにある。」
こ、これは・・・!保育の現場を経験した人から出る、名言・・・!
友達いわく、例えば工作なども、親に「こんなことしましたよ」というのを形で見せるため、親の満足のためにやっていることは多いとのこと。確かに、言われてみれば、子どもたちが自発的に行う工作というよりは、先生が準備して子どもたちにやらせる工作のが多いですもんね・・。子どもに本当にいい教育をというよりも、親に対するパフォーマンスである要素も大きいということは、特に時代の流れや、親の要求の高さなどから出ることなのかもしれません。
「あと、日本は上手にできることが重要と思われてる。個性とかより、上手に絵が描ける、上手に何かが作れる、という子どもが良しとされてて。それ以外の子はじょうずにできるように練習させられたりとか。」
これも目からウロコな発言。カナダでは、inclusive educationといって、例えば障がいや発達の遅れがあるような子どもでも、優劣つけることなく、個性として尊重しながら教育していきましょうという方針なので、改めてはっきりそのような日本の風潮を聞いてびっくりしました。
「給料は当時、そこまで安いという認識はなかったんだけど。だから、給料じゃなくて、今言ったような現実と理想のギャップがあって。で、結局3年働いて辞めた。今は全然違う分野の営業職で働いてるんだけどね。」
以上の話は、友達が保育士として働いていた10年ほど前の話。今は時代も変わっていますし、何より園が違えば今回の話とは全然違うといった部分もあるかもしれません。それでも日本で保育士をするということにあたって全てではないにしろこういうこともあるのかと、色々と考えさせてもらった、よい機会になりました。
逆に、今日本で保育士として働いていて、上記のようなことでお悩みの皆さん。カナダで保育士をすると、色々な悩みが解決するかもしれません。私もカナダでパートタイムで保育士として働いているので、日本とカナダの保育を比べられるような情報を色々と今後もお伝えしていけたらと思っています。